銀雪の狼

 その変化は本当に些細な変化だった。注意して更に注意しなければ、気づかない程である。
 体調が戻った牧師に絵本を読んでもらっていたモニカはその声音に耳を傾けていた。
落ち着いた声音は耳に心地よい。少しは離れたところではリヴァイアサンがデュークの背を撫でながら聞いている。
 物語が終わって、見上げれば優しく微笑む牧師と目が合う。
「二人はいつ仲良くなったの?」
 そう問えば、牧師は金色の瞳を大きく見開く。モニカはその瞳を綺麗だと思ったが、その瞳はすぐに細められてしまう。
「どうしてそう思ったのですか?」
 声音は優しいのに目は捕らえた獲物を逃さないように鋭い。
「カンだよ」
「カン?」
「そう、子どもの勘。なかなか当たるんだから」
 えへんと胸を張って言えば、牧師はくすりと笑った。
「侮れない勘ですね。モニカはよく人を見ている」
牧師は優しく頭を撫でる。まるで、モニカが気付いたことを喜んでいるように感じた。


 そんな二人の姿を見て、リヴァイアサンは声を出さずに笑っていた。デュークは上目使いで見ると尻尾をぱたりと振る。
「くくくっ、すまない。まるで子どものように見えてきたのでな」
 リヴァイアサンはデュークの背を撫でてやる。気持ち良いのか、デュークは目を閉じると大人しく撫でられる。
「牧師を拾って来たのはお前なのだろう?そのおかげで牧師は知ることの出来なかった、親の愛を知ることが出来た。私の父は牧師を育てることで家族を思い出すことが出来た。そして、私は家族愛と大切な友人を得ることが出来た。全てはお前のおかげだ。ありがとう」
デュークはまた、ぱたりと尻尾を振った。外では雪が静かに深く降り積もっていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「教会の鐘は鳴らすことが出来ないのか?」
 それは唐突な質問だった。牧師は動かした手を止めると、リヴァイアサンへと視線を向ける。降り積もった雪をかき分けながら、リヴァイアサンは教会の屋根の上にある鐘を見つめていた。
「鐘を、ですか?」
「そうだ、初めて見た時から気になっていたのだ」
「動かそうと思えば、動かすことが出来ますが、実はあの人が部品を一つ持って行ってしまって、今は動かすことが出来ないのです」
「部品を?」
 リヴァイアサンは記憶を辿る。父親は自分に何か渡したような気がしたのだ。それはなんだったのか、どこにしまったか――。
 あと少しで思い出すというところで錆びた臭いが鼻についた。
「デューク!」
 牧師の鋭い声にそちらに視線を向けると、足から血を流したデュークの姿があった。
 デュークがよろよろと歩いてくる。傷口を見ると撃たれたような傷があった。それだけで誰の仕業かすぐに分かる。
「……とうとう彼らが動いたようだな」
 森の方へ視線を向けると、森がざわついている。まるでそこだけが、どんよりと暗雲が覆っているようにも見えた。
 牧師は綺麗な布などを持ってくると、素早く手当をしてゆく。傷は浅いらしく、デュークは自力で立ち上がると牧師の方へと身体を摺り寄せた。
「よしよし、辛いだろう。奥の部屋で休んでおいで」
 牧師が優しく一撫でしてやれば、足を引きずりながらも教会へ帰って行く。幸いにもモニカは来ていない。
 牧師はデュークが教会へ入るのを見届けると立ち上がり、森へと視線を移した。金色の瞳は怒りに満ちている。冬の寒さと違う冷気が辺りに立ちこみはじめる。
「行くのか?」
 何かを決意したらしい牧師にリヴァイアサンは静かに尋ねた。
「このまま、放っておくわけにはいきません。あの人が愛した動物たちや森を見殺しにしては、約束を破ることになる」
「……、一人で大丈夫なのか?」
 そう問えば、挑戦的な瞳がこちらに向いた。
「私を誰だとおもっているんですか?」
 その言葉にリヴァイアサンは微笑む。言うまでもない、彼は「銀雪の狼」という異名を持つ者である。ただ、多くの者はその容姿から呼んでいるものであり、彼が狼と言うわけではない。
 また、大切な友人を一人で行かせるわけにもいなかない。
「ならば、私も共に行こう。なぜならば、私は『怪物』だからな。一人より二人の方が頼もしいだろう?」
 牧師は小さく笑う。それは悪夢のはじまりを告げるかのように。
「二人だけじゃありませんよ」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 森に乾いた音が響き渡っていた。
「おい、お前ら。近寄ってくる狼どもは容赦なく打ち殺せ!」
 木々の間からいくつものも目がこちらを伺っている。ここは戦場という森であり、敵である狼たちと争っていた。
 戦況はお互いに五分五分といったところで特に変化はない。
「くっそ、親玉は撃ったはずだろ。なんで逃げない」
 先程の灰褐色の狼を思い出す。森へ入った彼らを背後から襲ったのだ。一人が怪我をしてやられたが、お返しに一発撃ちこんでやった。
 そのことをきっかけに、わらわらと狼たちが姿を現し、攻防戦へと発展した。今では硬直状態である。
「なんで、狼を相手に……」
 しかし、下手に近づけば、彼らの餌食となるのは目に見えている。どうしたものかと、思案した時だった。
 鋭く甲高い音が森一帯に響いた。音が消えると狼たちが一斉に森の奥へと走り出す。その姿は何かに怯えているようにも見えた。
「な、なんだ!?」
「狼が逃げたぞ」
 男たちの間で動揺の声が上がったが、中心となっている男はこれを好機と見た。
「複数になって後を追え! 奴らの巣を見つけ出して根絶やしにするんだ!」
 そうすれば、邪魔をする者はいなくなる。男はこみ上げてくる笑みを噛みしめると先に進んだ仲間たちの後をゆったりと歩きながら一人で森の奥へと進んで行った。
 森の中は静かで自分の足音しかしない。先に行ったはずの仲間達の声もしなければ、銃声も聞えない。
 まるで、嵐の前の静けさのようだ。そう考えると緊張が高まってくるのを感じた。
 
ドサッ

 男は瞬時に音がした方へと銃を向ける。しかし、そこには誰の姿もない。どうやら木に積もった雪が落ちたようである。
「なんだよ、驚かせやがって……っ!」
 大きく息を吐いて、気が緩んだ時だった。男の身に冷汗が流れた。
 誰かがこちらを見ているのだ。それも一つではない、沢山である。
 男は生唾を飲むとゆっくりと振り返った。いつでも、すぐに撃てるように銃を構える。
 しかし、次の瞬間、男は手にしていた銃を落としてしまった。
「な、なんでだよ。逃げだしたんじゃなかったのか……、それに仲間たちが先に行ったはずだろっ?」
 気が付けば男は狼たちに囲まれていた。その数は数十匹にも値するだろうか。
 黒い毛並みをした狼たちが一斉に鋭い牙をむきあげ、唸り声をあげている。
「く、来るな。近寄れば大声を上げるぞ。そ、そ、そうすれば、すぐに仲間が……」
 しかし、恐怖のあまりに歯はガチガチと噛みあわず、膝は笑っている。無意識に後退していたが、足を雪に掬われて、派手に尻餅をついた。
 その間にも狼たちは輪を縮めてくる。
「来るな! あ、あっちに行け!」
 雪を掴んで投げてみるものの効果は全くない。狼たちは更に近寄ってくるばかりである。
 男は小さな悲鳴を上げると、足を滑らせながらも森の奥へと逃げ込んだ。その後を何十匹の狼が追う。その姿を他の者が見れば、実に滑稽な姿であっただろう。
 雪化粧が施された道は、どこまでも続いているように見える。
「ちくしょう。なんでだよ、逃げたはずだろう。他のやつらは何をしているんだ。くそっ、覚えていやがれ、絶対に――」
 急に身体が軽くなった。正確には宙に浮いた感じがしたのだ。しかし、それも一瞬のことで、一気に下へと落下する。
 振り返って自分が走って来た場所を見ると崖になっており、狼たちが愉快そうに見下ろしているではないか。彼はそこで自分が崖から落ちたことに気付く。しかし、気付くにはすでに遅く、目の前に真っ白いものが大きく映ったかと思うと、冷たい雪の中へ突っ込んでいた。


「雪が深くなければ、今頃は骨折をしていたな。運が悪ければ、黄泉の旅人になっていたくらだ」
 一部始終を、リヴァイアサンは木の間から見ていた。その隣では、冷めた目で牧師が男を見下ろしている。崖の上では狼たちが勝利の雄叫びを上げていた。
「彼もこれで懲りるでしょう。しかし、二度と村には戻って来ないでしょうが」
「それはどういう意味なのだ?」
「そのままの意味です。彼がこの村に戻るには、この先にある村を越えなければいけません。ですが、彼はその村で自分の身に起きたことを話でしょう。そして、そのまま村に住む。あそこは彼のような仲間がたくさんいますからね」
 牧師は悪戯をして見つかってしまった子どものように笑う。
 リヴァイアサンは牧師と会うきっかけになった男の話を思い出した。話を聞いたのもその村だったはずだ。
『その村にいる牧師はとても恐ろしい牧師だ。なんだって、自由自在に森の狼たちを動かす。それだけじゃないっ!牧師は狼たちの一番上に立つ男……逆らってはいけなかったんだ』
 男は深く語ろうとしなかった。彼もまた、猟師で先程の男と同じく、掟を破ろうとして追い出された一人なのだろう。よほど、恐ろしい体験をしたのか話をしている時の顔は青ざめていた。
 彼の言う通り、牧師は狼たちを自由に操っていた。先程の男たちが聞いた音は牧師の口笛である。彼の仲間は今頃、見つかりもしない狼たちを探していることだろう。
 牧師の狙いははじめから男ただ一人のようだった。森の地を知り尽くしている牧師や狼にとっては最高の戦場であっただろう。
 リヴァイアサンは改めて「銀雪の狼」の名の意味を知ることとなったのだ。

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