怪物と狼

 白く覆われた雪道を歩いている男がいた。真っ黒なマントに手袋、深く被られたフードからは目元だけを隠す仮面が見えている。その奇妙な姿は雪道では十分に浮いた存在だった。
 しかし、彼の姿を見て驚く者もいなければ、避ける者もいない。彼が歩いているのは木々に囲まれた雪道だった。冬真っ盛りの今、動物たちの姿も見当たらない。いや、これから会いにゆく相手に恐れて姿を隠しているのかもしれない。そう考えると思わず男は口元を歪めた。早く会いたくて楽しみで、仕方がないのだ。

 男の名前は怪物(リヴァイアサン)。誰が名づけたのかは分からないが、いつしかそう呼ばれるようになっていた。
 リヴァイアサンはとても好奇心旺盛で、探求心が底無し沼のように深い男だった。はじめこそは村人は彼を敬い、その欲求に応えるために協力などもした。
し かし、リヴァイアサンの探求心についてゆくことが出来なくなった村人たちは、彼を狂人とみなし、今度は恐れ、忌み嫌った。そして、彼を「探求心の怪物」と呼ぶと彼を村から追い出してしまったのだ。
 だが、リヴァイアサンは悲しいと思わなければ、むしろ喜んだ。彼は解放されたのだ。村という狭い檻から。
 それからリヴァイアサンは更に見聞を広げ、瞬く間に知識を増やしていった。そして今回、牧師の噂を耳にしたのだ。すぐにリヴァイアサンはその牧師に興味を持った。誰も訪れないという、村外れにある教会に住む牧師。なによりも彼が「銀雪の狼」と呼ばれていることが気に入ったのだ。
 早く会いたい、会ってみたい。リヴァイアサンは早まる気持ちを抑えて教会へと目指した。

 木々を抜けると開けた場所へと出て来た。そんな広場の中心に雪化粧が施された教会が建っていた。リヴァイアサンはその美しさに思わず、息を呑む。
太陽に照らされた雪は光り輝き、年季の入った教会を照らしているようだった。屋根の上には時が止まったままのように感じさせる鐘がその姿を強調している。
今では牧師を抜いて無人の教会であるはずなのだが、清らかで研ぎ澄まされた雰囲気をまだ持っているようにも感じさせる。
そんな教会へ踏み入ることを侵しがたい清楚な雰囲気に、リヴァイアサンは囚われていた。全く足が動かない。だからといって、踵を返すことも出来ない。まるで地に足が縫い付けられたような感覚だった。
 すると教会の扉が鈍い音をたてて開いた。中から出てきたのは噂の牧師ではなく、一匹の狼だった。灰褐色の毛に覆われた狼は真っすぐとリヴァイアサンのもとへ向かってくる。しかし不思議と恐怖心はなかった。狼はリヴァイアサンの傍までくるとマントの端を咥えると、くいくいと引っ張った。
「私についてこいと言っているのか?」
 狼はリヴァイアサンの瞳を見つけるとすると教会の中へ入ってゆく。その瞳は「そうだ」と言っているようだった。  
 いつの間にか先程まで動かなかった足が動くようになっている。リヴァイアサンは掌ほどの大きさのある足跡について教会の中へと入っていった。
 入ってすぐ、そこは礼拝堂だった。左右均等に椅子が並んでおり、窓はステンドグラスとなっている。光が差し込むことによって、そこには不思議な空間が作り出されていた。 
 祭壇には大きな聖母が静かに鎮座しており、微笑みを浮かべて、右手を差し出している。そして、薔薇窓にはそんな聖母を見守る女神のステンドグラスがはめられていた。女神は慈愛に満ちた瞳が聖母を見下ろしていて、聖母の瞳もまた慈愛に満ちていた。
 リヴァイアサンはその美しさに心を奪われた。神や信託など信じていない彼にとって、教会とは無縁の場所である。だが、はじめて訪れた教会に、言葉では言い表せない程の感銘を受けたのだ。
「どうしたんだい、そんなに引っ張って。お前にしては珍しいね」
 声が聞こえてリヴァイアサンは我に返ると隣をみた。いつの間にか隣に座っていたはずの灰褐色の狼の姿がいなくなっている。声がした方へ視線を向けると右の奥から先程の狼が出てきた。つられるように人が出てくる。
 リヴァイアサンはその姿を見て思わず、あっと小さく叫んだ。噂の「銀雪の狼」が姿を現したからだ。彼もまた、リヴァイアサンに気付くと金色の瞳を見開いた。
「……礼拝の方というわけではありませんよね?」
 白銀の髪がふわりと揺れる。真っ黒な衣装にその髪はよく映えていた。足が悪いのか手にはステッキが握られている。しかし、歳はリヴァイアサンより若く、まだ青年の名残を残していた。
「お前『銀雪の狼』か?」
「質問を質問で返されるとは。……確かに皆さんは私のことをそう呼びます」
 彼は苦笑すると質問に答えた。リヴァイアサンは彼の回答に自分が落胆したのを感じた。
 彼は二つの顔を持つと言われている。しかし、目の前にいる男はどこから見ても人のよさそうな優男にしか見えない。とても裏があるようには見えないのだ。
「ほら吹きに当たってしまったか。……先程の質問だが、私は礼拝者ではない。むしろ、私は神の存在など信じていない」
「ではなぜ、このような場所に?」
「私はお前に会いに来たからだ」
「私に?」
 男は怪訝な表情でリヴァイアサンを見つめた。男の足元では狼が寝そべっているが、瞳はしっかりとリヴァイアサンを見ている。何かあればすぐに襲いかかってくるだろう。そんな雰囲気を醸し出している。
「私の名前はリヴァイアサン。人々は私のことを『探求心の怪物』と呼ぶ。その名の通り私は気になったことは、とことん調べないと気が済まない性格である。今回、お前の噂を耳にして、お前がどのような人物なのか興味を持ってここまで来た」
「リヴァイアサン。旧約聖書に出てくる海の怪物で、悪魔とされる存在ですね。そのような方が、どんな私の噂を耳にしたのかは知りませんが、どうぞ気が済むまでゆっくりしていってください」
「私の話を信じるのか?」
「信じるも信じないもありません。私は来る者を拒まず、去る者を追わず、そういう主義ですので」
「それいうなら、助けを求める者を拒まず、去る者を追わずではないのか。お前の場合は」
「どちらも似たようなものですよ。ついてきてください、案内しますから」
 男はにっこりと微笑むと奥へと進んでゆく。やはり、足が悪いらしく、左足を引きずっていた。その隣にはぴたりと狼が付き添っている。
「質問したいことは山ほどあるが、私はお前をなんと呼べばいいのだ?」
「牧師と呼べばいいのでは?皆、私のことをそう呼びます」
「お前には名前がないのか?」
 リヴァイアサンの質問に牧師はきょとん、とした表情を浮かべたがすぐに小さく笑う。
「もちろん、名前はありますよ。しかし、あなたに名乗る名前はありません」
笑顔で告げられた言葉に今度はリヴァイアサンが笑う番だった。
「……くくくっ、実に面白いな。牧師よ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
 リヴァイアサンは先程の落胆した気持ちははどこへやら、実に愉快な気持ちになっていた。狼の化身とはあながち間違っていないようだ。彼は獣のようである。警戒心が何より強い。そして、金色の瞳は全く笑っていないのだ。獲物を捕らえて放さない目をしている。
 リヴァイアサンは彼との生活が楽しみになってきた。きっと彼は自分の探求心を満たしてくれるだろうと。

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